三鈷の松と根本大塔
2022年10月1日に高野山に行った時のお話のつづきである。
この日はまだ海外旅行者の姿は少なく。東南アジア系のカップルを見かけたぐらいで、国内旅行者という感じの人もちょこちょこってな感じであった。
旅行者というよりは、用事があって来ておりますという人たちの方が多かったのやもしれない。ま、私の勝手な見かただけれども。
何度も高野山に来ている割には、建造物内にあまり入ったことがない。この根本大塔にも2度しか入っていない。
根本大塔の内部は、曼荼羅が立体で表現されていて、私もきっとこの曼荼羅のなかの一部なのだなぁ~なんて思いつつ、ココロ動かされ、写真を撮りたーーい気持ちになってしまうのだけれど。撮影は禁止という掟があるので、我慢するほかないのである。
目に焼き付けて帰るのみなのだ。
写真を撮ることを我慢せねばならないのが、とても嫌なので、見学を控えている。
どうしても撮りたく思ってしまうのである。
立体曼荼羅は、高野山へ寄ったのならば、キチンと見ておいた方がよろしいかと思われるので、是非ご覧あれ。
とかなんとか書いときながらなんなんだけど。内部見学は有料だったかどうだったかは覚えてなかったりする。有料であったとしても高額ではないと思われる。もし高額だったならば、この私が忘れるわけないのだ。この私が。
あと土足禁止であるので、靴を脱がねばならない。確か鍵付きの下駄箱もなかったように思われるので、目印代わりに洗濯ばさみなんかを持参して、脱いだ靴をつまんでおくのもよろしいかと思われるので、是非ご活用あれ。
ただし、その日に限って、見学者全員が目印代わりに洗濯ばさみを持って来ており。見事なまでにすべての靴が洗濯ばさみでつままれ、鮮やかに並んでいて、結局自分の靴がパッとわからないとしても、どうか私を恨まないでいただきたい。
で、
今回の写真も、正面から撮ったモノではない。もう何度も来て撮っているので、正面からの写真はおもしろみがないし、出版物などにキチンと正面の写真は載っているので、わざわざブログに載せることおねぇやなと思っての、真横からの撮影である。
ま、
正直この真横からの写真も撮っていて、面白みがないなと思ったので、なんとか三鈷の松を入れて撮れないものかとチャレンジ。
あっち行ったり、こっち行ったり、背伸びしたり、しゃがんだり、そして寝転んだり…はさすがに今回しなかったけえれど、数枚いろんな視点の松と大塔の組み合わせを撮ってきたのだ。周りに人がいなくてよかった。遠巻きに見られていた気はするけれど、通報されないのであれば、問題ないのだ。
いつも、当たり前だけど、迷惑にならないようにだけは気を付けている。
結構、コレだと思ったら、周りが見えないタイプなので、何事にも常に気を配らねばならないのである。ここら辺が日頃の行いにつながり、雨が降っていても出かけるころには止んだり。「紳士だね」と小学5年の時、担任から言わしめるほどの漢になれるのだろう。知らんけど。
んで、
三鈷の松とは下の写真に。
空海さんが、唐から日本に戻る時。
密教を広めるためにふさわしい土地を示せと。
何を思ったか三鈷杵という法具を日本に向けてぶん投げたとか。
正気の沙汰ではないけれど、空海さんはアリなのだ。
私が同じことをしたならば、海にゴミを捨てるなと猛抗議は必至である。
投げ放たれた三鈷杵は、見事海を渡り、この松に引っかかってたのだとか。
空海さんの伝説は、いろんな偉人とは一線を画す、読んでておもしろい話ばかり。私が空海さんを好きになった理由のひとつである。
おわり